巨大地震はいつおきる!?【2】




【過去の地震について】   
ここでは過去の東京周辺で発生した地震について考察します。
「江戸地震」発生年月を基本座標として、
そこより年波動(S波動)をくりだし、
以後に発生する他の地震との関係を、観ていきます。
また、毎年刻々とかわっていく年毎の波動数(C波動)との
関連性も観ていこうと思います。

1855年11月11日(1数卯年・3数亥年)発生した江戸地震を
これ以後に発生した地震の軸として、物差しにすえます。

1855年   11月
(陽数理年月盤)

9 5 7   2 7 9
8 1 3   1 3 5
4 6 2   6 8 4

1855年   11月
(陰数理年月盤)

9 5 7   7 3 5
8 1 3   6 8 1
4 6 2   2 4 9

それでは、江戸地震発生より
10年ほどが経過した時間帯より、これらを軸として観ていきます
 
文中にある
「S波動」とは、今回「座標軸」としている江戸地震の
時間質がもっている、内部時間波動です。
「C波動」とは、地球環境を取り巻き、年ごとに遷り行く現象を、
統括する外部時間波動です。
「静態盤」とは、江戸地震発生年月から導かれる年月盤です。
 



地震名がついているものと、マグニチュードの大きいものを、
観てみましょう。
被害規模に相応のものがあるかも知れません


1894年6月20日(4数午年・7数午月)・・・東京地震【35.7/139.8】
M7.0被害大となっています
江戸地震S波動を見ていきますと1894年には
順流では7数波動で十二支は子となり
逆流では4数波動で十二支は午となっております

年毎に変化するC波動は1+8+9+4=2+2=4となり
陽数理では4数午年ですから陰数理では7数午年です。

月数も見てみると6月ですから陽数理では7数午月となり、
陰数理では4数午月となります。

S波動を見ると
順流波動は「子」、逆流波動は「午」、東京地震発生年の
1894年は「午」となります。
座標軸とする江戸地震は「卯」となります。
(付録:波動盤と周期波動表を参照)

これらの十二支配置よりこの地震も江戸地震同様
この地方の発生地震に深くかかわることを、語っています。

(注)
このように十二支のみで観るのは、状況をつかむのに
解りやすいためです。
十二支の代わりにα・β・γ・δ・ε と、ギリシャ語に
してもよろしいわけです。
くれぐれも単なる十二支表記を、十二支占いと結び付けない
ことです。
創造性の芽がつまれてしまいます


もう一度、江戸地震発生年月盤をみてみると
この静態盤のC場・酉には、破壊数X3があります。
また、静態盤よりくりだされる江戸地震S波動は7数波動と
なっていて、波動盤C場・酉にはX9数が、あります。
静態盤・動態盤ともにC場に破壊性が、あるわけです。
呼び水としてのルートとなります。

東京地震発生の1894年6月は、
陽数理では「4数年・7数月」であり、
陰数理では「7数年・4数月」です。

江戸地震のS波動数は1894年当時は「順流7数・逆流4数」の
波動時間帯です。ここにも、呼び水としての吸引作用があります。
地中にあれば順流7数・逆流4数のエネルギーも
地表に伝われば、1894年6月(午・午)の時間帯と
冲(チュウ)作用をおこし、【順流4数・逆流7数】に変換します。
そのまま、C波動陽数理と互換し現象化した地震のようです。



1895年1月18日(4数午年・5数丑月)・・・ 【36.1/140.4】
数霊では1月の場合、前年度として読み、1894年とします 
茨城県霞ヶ浦周辺発生でM7.2となっていますが、
被害状態は中との記述です。
東京地震とおなじS波動周期内での地震ですから、
順逆の波動数も同じ、年毎のC波動数も同じ1894年として
みてますが、勢いは同じなのでしょうか?

江戸地震の静態盤よりくりだされるS波動は、「順流7数子・逆流4数午」。
C波動としての発生年月は、「4数午年・5数丑月」ですから、
陰数理では「7数午年・6数丑月」となります。

地震波動エネルギーとしてのものはかなりのものですが、
地表との貫通する
呼び水としてのものがありません。
受け皿もかたちをなしていません。

C波動発生月(5数月)が、江戸地震発生年月盤のC場5数
となる月ですから、呼ばれて発生した型です。
このあと、1905年ころより伊豆大島近海で群発地震が
はじまりました。


1909年3月13日(1数酉年・4数卯年)・・・【34.5/141.5】
M7.5もある相当のエネルギーを持った地震です。
この地震発生前後の江戸地震S波動をみてください、
波動数が6・5と5・6と交差しております。
座標として観ている江戸地震の質が
変わり始めているわけです。


地震質の転換期に入ってきているようです。
これより被害状況を主にみていくことにしましょう


1905年ころより伊豆大島近海で群発地震も始まっております
話をもどします
江戸地震S波動よりみていきますと6・5/5・6のねじれの時間帯
ですから地震エネルギーとしては別次元に変わり始めています。

江戸地震S波動よりみると、「順流5数戌・逆流6数申」となり
C波動よりみると「1数酉年・4数卯月」となりますから、
C波動の陰数理は「1数酉年・7数卯月」となります。
地震規模としては相当の破壊力を持っているとは感じますが、
地上までの伝播力にまとまりがない。

今、過去に多大な被害をうけた江戸地震の年月より波動を繰り出し、
私たちが今後遭遇するであろう地震による、
被害状況・被災情報をつかもうとしているわけです。
人間と切り離された地震を単に予知しようと、しているわけでは
ありません。

(注)
多大な被害をうけた過去の地震発生年月より地震波動をくりだし、
後日発生している他の地震被害状況を見比べることで、
江戸地震波動が今日まで脈々と波動の中に生き続けている事実を、
姿を、皆さんにも確認していただきたい。
そう考えています


1921年12月8日(4数酉年・4数子月)竜ヶ崎地震【36.0/140.2】
M7.0被害小となっています。
江戸地震S波動より1921年当時をみると「順流4数酉・逆流7数酉」と
なっています。
1921年のC波動をみてみましょう
陽数理では「4数酉・4数子」となり、陰数理では「7数酉・7数子」
となります。
江戸地震発生年は「1数卯」ですから、
地震S波動の破壊エネルギーはフルです。
C波動陰・陽数理に並列がありますから4数・7数への互換も
スムースです。
破壊エネルギーの方向性よりみると
午の方向性を持つエネルギーには破壊性の受け皿がありません。
子の方向性を持つエネルギーには受け皿があります。が、
発生月が12月ですから、緩衝作用が働いているいるようです。


1922年4月26日(5数戌年・8数辰月)浦賀水道地震【35.2/139.8】
M6.8 となっています
江戸地震S波動をみると、1922年は「4数酉・7数酉」の波動時間帯で、
江戸地震とは、卯・酉の冲となります。
江戸地震年月盤のF場x6数の破壊性に勢いよく流れ込む環境です。

C波動をみてみるとこれも【戌・辰】の冲となる時間帯で発生です。
ただ、エネルギーとしては、まとまっていない。

(注)
この地震自体よりも、発生環境のいたるところに、
冲(チュウ)作用見えることが、
関東平野の地中深く、不気味さを環境醸成していたわけです



1923年9月1日(6数亥年・6数申月)関東地震【35.3/139.1】
M7.9の大地震被害大とあります。
江戸地震S波動をみると1923年当時は「順流4数酉・逆流7数酉」となり、
江戸地震年とは「卯・酉」の冲(チュウ)の、となります。

江戸地震波動の順流4数酉のエネルギーは冲作用によりスケールを増し
「7数に反転」破壊の強化される環境です。

外部時間波動のC波動は「6数亥年・6数申月」ですから、
地震エネルギー「7数」を呼び込む破壊性「x7」の時間帯です。

並列年月ですからC波動の陰数・陽数の互換もしやすく
6・6は5に、5・5は6へと、変換しやすい。
「5・6」「6・5」ですから大惨事・巨大地震となってきます。

江戸地震S波動「4数酉」の地震エネルギーは地表へ向かい易く、
そこに静態盤「6数」破壊があり、C波動も誘い水となっています。

言葉を変えて言うならば、
江戸地震発生年のF場x6の破壊数が、時を経て、6数年6数月という
外部時間によみがえり、受け皿(破壊数x7)をつくり、場を形成し、
地下深くよりのぼりつめてくる破壊エネルギー4数を引き込み、
冲作用を起こさせて、破壊性7数エネルギーに変換後、
現象界に現れたようです。

静態としての「場」が時となり、動態としての「時」が場に共鳴する。
地表に出ようとする地震エネルギー「S波動4数」は質変換する。
地中の破壊エネルギーは7数となって、現象界にあらわれる
わけです。そのまま、地震発生年月の「6数亥年・6数申月」の、
年月破壊数「7数」として、受け皿に入ったようです。



関東平野における地震の解析を、しております。
次回から変化を織り交ぜながら予知へと向かいます。。。


以上、

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